競馬で勝てない僕らの強がりをひとつ聞いてくれ

つまらない競馬のお話です。

競馬はいろんな楽しみ方がある。何に主体を置くかってことで、馬、騎手、厩舎、馬券あたりがメジャーなところ。競馬場そのものが好きな人とかもいるのかな。浦和最高。

 

馬は競馬がブラッドスポーツであることを考えれば、これ以上楽しめる要素はないかとも思う。スターホースでなくても、自分が好きな馬の子供が走れば、それだけで応援したくなるし、勝てば嬉しくなる。走るためだけに生まれてきた競争馬に一般人がしてあげられることは少ないけど、精一杯応援することが一番大切だと思う。それぞれの思いを乗せて走る馬は本当にカッコイイし素晴らしい。たとえそれが高知の馬でも。

騎手も競馬にも欠かせない要素。彼らがいるからレースが成り立つ。騎手でそれぞれ巧拙はあるけど、毎レース毎レース命がけで馬に乗っている彼らを誰が馬鹿にできるだろうか。でも、クソみたいな騎乗されるとすごくイラっとくる。ごめんね。レース外の彼らはとても魅力的な人間で、そういうところにも競馬の面白さがあると思う。馬がいて、騎手がいるから、競馬は面白い。

厩舎は馬を育てるプロ。彼らがいかに馬を育てるかで大事なレースを勝てるかどうかも決まってくる。馬は機械ではなく、生き物なので毎回決まった動きなんて出来ない。そういう微妙なところを調整して、レースを見ごたえあるものしてくれるのが厩舎スタッフの皆さん。裏方的な側面も強いけど、重要な要素。やっぱり応援していきたい。

 

さて、馬券。競馬をギャンブルたらしめる最大の要素であり、現代日本競馬において必要不可欠な要素。どうやって日本の競馬が成り立っているかを知れば、一番重要な要素と言えるかもしれない。前述したように競馬への関わり方は様々あるけれども、一番数が多いのは「馬券を買う」という関わり方のはず。そうであってくれ。

「馬券を買う」という行為はお金を賭けて、的中すれば全体賭金の75%の中から配当金を得られる。細かく言えば多少の差はあるけれども、結局はこういうこと。つまり、賭けた瞬間に25%は胴元の懐に入る。その残りを馬券購入者、的中者で分け合う。競馬やらない人にとっては、この時点で馬鹿馬鹿しいものだと感じたりするのだろうけど、参加費みたいなものでもうこれは諦めるしかないと思っている。やむを得ない。当たればお金はとりあえず増えるのだから、そういう前提は無視したい。

「当たれば」の話だけを書いているけど、外れたらどうなるか。何も難しい事はなく、賭けたお金がそのまま消えて、手元には紙クズが残るだけ。ある程度、この未来は馬券を買う時点で覚悟していることではあるけれども、当たる方の未来に期待してお金を使う。それはもう湯水のごとく。気がつけば財布が薄くなっている。たまに小銭だらけで厚くなっていたりもするけど、お札はなくなっている。

外れたことが分かる瞬間は賭けている金額が大きいほど、後悔の念が強いのだけれども、少額でも非常に惜しい外し方であったり、万馬券が取れそうで取れなかった時も非常に悔しい。この悔しい気持ちがさらに馬券購入を促進させる。個人的な考えからすると、1万負けたあたりから段々おかしくなってくる。不必要に賭けてしまう。買うはずのなかった馬券を、普段買わないような買い目を。それがたまに当たることもあるから競馬って怖いんですよね。

過去に勝った経験ほど記憶に残っていて、今回もイケると思ってしまいがちだけど、個々のレースは個々の事象であり、あの時当たったからといって今回当たるとは限らない。そんなことは分かっていながらも、何か神がかったものを感じてマークシートに記入を行い、最後の金を投入し、馬券を買う。そして外れる。この負けた経験は次に活きない。なぜなら、忘れるから。こう買えば良かったとは思うけれども、買わなければ良かったとは思わない。なぜなら、馬鹿だから。

結論を書きます。普通に考えれば分の悪い勝負を分かった気になって臨み、当たり外れを繰り返し、熱くなって、後悔して、最終的にはお金が無くなる。そして、昼飯が食えなくなる。競馬が悪いんじゃなくて、わたしが悪いんです。以上。

 

最近、勝ったり負けたりの繰り返しで、自分が何をしたいかがよく分からなくなったのでとりあえず思うつくがままに書いてみた。この記事を読んで、競馬を好きになるか、競馬を嫌いになるかは人それぞれだと思うけど、一つだけ言えることは競馬には夢があるってこと。

今週の日曜日はダービー。あなたの夢はなんですか?