涙、涙の日曜

この度、わたくし一人暮らしを再開しました。

念願(?)の都民となりまして、これからは中央線ユーザーとして生きていくことになりました。引っ越してまだ数日なので、周辺の雰囲気も掴み兼ねてはいるものの悪くない街ではありそうです。

 

一人暮らしは名古屋にいた時以来なので、4年ぶり。名古屋から戻ってきた後は実家にしばらくいたし、その後はパートナーと同棲。その関係が解消、同棲も終わりを迎えたため、一人暮らしを再開することになりました。

彼女と付き合ってた2年半は楽しかったという言葉で収めておくとして、とりあえず今の感情をここに留めておきたいので記事を書きます。

 

2019年3月から同棲を始めて、2021年7月に解消。2年と4か月の間、同じ家に一緒にいた人がいないことが思っていた以上に辛い。最後の数か月はあまり家にいないことも多かったけど、犬がいたし、一緒に暮らしていた部屋、モノがあったのでそこまで寂しさを感じることもなかった。引っ越しにあたって、彼女がモノを少しずつ新しい家へ運び出していき、部屋の中が広くなっていってようやく何かもやもやした不安な感情が出てくるようになった。彼女の荷出しの手伝いをすることはその感情をより膨らませるような気がして進んで手伝いたくはなかった。
自分のモノを自分で整理して荷造りすることは不思議と辛くなかった。「持っていかないからあげる」と言われた元々は彼女の所有物だったモノを見ることに強く寂しさを感じた。
双方のモノがなくなり、部屋を明け渡す最終日。モノがない部屋と彼女がいるその空間は入居時のあの期待と不安が入り混じった気持ちを思い起こさせた。でも、今回は終わらせるための時間であり、一人になるための行為。ここを出ればもう戻ることはできず、後はお互いの新しい家へ向かうだけ。気持ちが向かなくとも淡々と確認作業は進んで部屋を後にする他ない。
部屋を出て、駅へ向かう歩きなれた道も二人で歩くのはこれで最後。電車に乗り、同じ乗れる範囲までは時間を共にしたが、終わりの時間は確実に近づいている。最後の電車を待つとき、どうしても涙が抑えられなかった。全部悪いのは自分だと分かっているからこそ何も言えなかった。彼女が乗った電車を見送って、涙目で一人で新しい家へ向かう自分がどんなに情けない姿だったかは想像に難くない。

まだ荷物も十分に片付いておらず、段ボールを空けたり、何か事あるごとに彼女との生活を思い出し、辛さを噛み締めることがこの先幾度となくあると思う。新生活の2日目で半べそをかきながら、こんな文章を書いているようでは先が思いやられる。ただ、こうやってアウトプットすることに何か意味があるような気がしているので、繰り返して少しずつ今の辛さを緩和していきたい。同じ失敗をしないためにはこれから何をしなければいけないのかを考えるだけの余裕が今はないので、もうしばらくは感傷に浸っていようと思う。2021年7月11日の日曜日の夜はそんな思いです。